20140405
2014年4月5日 堕落した一日。寝ては起き、また寝る。2度目の睡眠で夢をみる。地元にいる。実家が旅館のようになっている。ちょっとした観光名所。いろいろな人と何かをしている。
喜び~のさ~け~♪しょうちくばい~♪と歌いながら胸を揉むというくだらない動作に熱中する。
シューマンの交響曲第4番1楽章の展開部を最初に聴いたときに、転調しながらも同じ主題をくどいくらい繰り返すのに辟易した。しかし、少し後になってその部分が癖になるうまさのようなものであることに気付いた。さらにその後になって、モーツァルトの三大交響曲やシューベルトのピアノ三重奏曲第1番にもよく用いられている手法であることにも気づく。似たような手法をとりながらも、それぞれがそれぞれの個性を発揮しているところにクラシック音楽の伝統の偉大さと凄みがある。
「行人」読み終わる。「帰ってから」までは漠然と読んでいたけれど、「塵労」に入って、これは偉い小説だと思った。夫婦の形や近代の文明社会を生きる人間の苦悩を全体として描いているけれど、「塵労」ではHさんの手紙に記された一郎の言動という形でそれらの問題が深く掘り下げられている。まだ読んでいない「彼岸過迄」は勿論のこと、「こゝろ」も読み直す必要がある。
P353「自分のしている事が、自分の目的になっていないほど苦しいことはない。」
P354「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれた事がない。(中略)どこまで伴れて行かれるか分らない。実に恐ろしい。」
P355「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。(中略)要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している。」
P364「Keine Brücke führt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)
P374「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい。」
P385「僕は明かに絶対の境地を認めている。しかし僕の世界観が明かになればなるほど、絶対は僕から離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて、脚絆をつけて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。(以下略)」
P395~P396 香厳の逸話
喜び~のさ~け~♪しょうちくばい~♪と歌いながら胸を揉むというくだらない動作に熱中する。
シューマンの交響曲第4番1楽章の展開部を最初に聴いたときに、転調しながらも同じ主題をくどいくらい繰り返すのに辟易した。しかし、少し後になってその部分が癖になるうまさのようなものであることに気付いた。さらにその後になって、モーツァルトの三大交響曲やシューベルトのピアノ三重奏曲第1番にもよく用いられている手法であることにも気づく。似たような手法をとりながらも、それぞれがそれぞれの個性を発揮しているところにクラシック音楽の伝統の偉大さと凄みがある。
「行人」読み終わる。「帰ってから」までは漠然と読んでいたけれど、「塵労」に入って、これは偉い小説だと思った。夫婦の形や近代の文明社会を生きる人間の苦悩を全体として描いているけれど、「塵労」ではHさんの手紙に記された一郎の言動という形でそれらの問題が深く掘り下げられている。まだ読んでいない「彼岸過迄」は勿論のこと、「こゝろ」も読み直す必要がある。
P353「自分のしている事が、自分の目的になっていないほど苦しいことはない。」
P354「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれた事がない。(中略)どこまで伴れて行かれるか分らない。実に恐ろしい。」
P355「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。(中略)要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している。」
P364「Keine Brücke führt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)
P374「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい。」
P385「僕は明かに絶対の境地を認めている。しかし僕の世界観が明かになればなるほど、絶対は僕から離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて、脚絆をつけて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。(以下略)」
P395~P396 香厳の逸話
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