20201016

2020年10月16日
 曇。14℃~19℃。


 『街道をゆく 二十二』131p。バスクとそのひとびと。パリ。日本の世界観。本朝、震旦、天竺。フランシスコ・ザヴィエル。バスク人。ソーヴール・カンドウ。「晩秋望郷」。柳田国男と親しい。案内人のカトリーヌ・カドウ嬢はブルターニュのケルト系。ザヴィエル四百年祭。昭和二十四年。右手。吉田小五郎「ザヴィエル」。ゲオルグ・シュールハンマーのザヴィエル全集。聖人の遺体信仰。朝山天乗。1569(栄禄十二)年、フロイスが信長に拝謁。上川島でザヴィエル死去。遺体の奇蹟。ゴア。右腕をローマで保存。ナバラ王国。ザヴィエルの父が宰相。ザヴィエル城。末子。1525年、パリの大学へ入学。聖バルブ学院。当時のパリ40万人。ラテン区の学生4000人。16世紀の大学生。運動は得意だが平凡な学生。同室者ペドロ・ファーベル。ザヴィエルの姉マグダレナ。ガンディアの尼僧院院長。イグナティウス・ロヨラ。バスク人でスペイン側で戦う。ザヴィエルの兄たちを破る。足を負傷。軍属を離れ、聖バルプ学院の隣にあるモンテーギュ学院へ。エラスムスも学ぶ。イエズス会を立ち上げようとする。軍人的発想。ザヴィエルを仲間に誘う。執拗。ファーベルを先に仲間へ入れる。リーフデ号の旧名エラスムス号。船首にエラスムス像。栃木の竜江院にまつられている。貨狄尊者。ルターやエラスムスの宗教改革運動。ロヨラは法王側に立つ。イエズス会創立の七人。ロヨラ、ザヴィエルら。モンマルトルの丘。殉教者の礼拝堂。

 冲方丁『はなとゆめ』36p。清少納言。第一章 小白川。橘則光の妻。花山天皇の乳母兄弟。子供の則長。のちに則光と離婚。父親が清原元輔。藤原兼家。息子道兼。花山天皇を出家させる。



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