20201106

2020年11月6日
 曇時々晴。12℃~17℃。


 『街道をゆく 二十六』80p。水尾の村。嵯峨。京西郊。愛宕山の山腹。後水尾天皇。水尾天皇はいない。清和天皇の通称水尾御門。徳川家の意図。桂川(大堰川・保津川)。渡月橋。愛宕街道。おたぎ。小倉山山中。藤原定家。清和天皇をまつる神社。清和・陽成の治世を貞観の治。水尾地区。左家・右家。宮座。刀禰。曾禰良忠。しきみが原の歌。樒。嵯峨野。秦氏。都江堰。渡月橋、宇治大橋の中洲も堰のようなものか。角倉了以。保津川に船を通す。丹波から山城の舟運。京都と伏見の間、高瀬川を掘る。天竜寺かかりつけの医者の家。天竜寺船。了以の弟吉田宗恂、息子素庵(与一)。藤原惺窩の客分。学友が林羅山。嵐山。大悲閣。芭蕉。嵯峨の落柿舎。「嵯峨日記」。俳諧論。千鳥ヶ淵。漱石。明治25年に子規と京都に来ている。明治40年に二度目。「虞美人草」。

 「庭、灰」『世界文学全集Ⅱ‐06』173p。読了。僕が不死身ではないという証拠。夢。明晰夢的。寝返り。

 「人によっては…不幸になるために生まれてきて、他人も不幸にする人がいるものだ。それは何か天の、我々にはわからぬ策動の犠牲者で、天体力学のモルモットで、反乱者の役を与えられた反乱者なのだが、天の喜劇の残酷な論理によって、翼を切りとられて生まれてきている。ティーターンの力を持たぬティーターン、小さな、いじけたチビのティーターンで、大きいものといえば、残酷なほど大量の感じやすさだけで、彼らの取るに足らない力はその感じやすさの中にアルコールに溶けるように溶けてしまう。彼等は自分の星の跡をたどる。自分の病的な感受性の後を追う、ティーターンらしい計画と意図のままに運ばれていく、そして平凡さという岩礁に波が砕けるように砕けるのだ。彼らに与えられた残酷さの頂点は、明晰な頭脳であり、自分の限界を知ることであり、距離を保つ病的な能力なのだ。父さんはね、天と運命に押し付けられた役の中に自分自身を見出し、自分の役を常に意識しているが、同時にその役に論理や意志の力で抵抗することもできないでいる…。幸いにも、今、言ったように、父さんの役も終わりが近づいているんだがな…。」(107p)


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