20220217

2022年2月17日
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 『日本の歴史 六』304p。第九章 両統迭立と徳政令。持明院統と大覚寺統。後嵯峨院政の終わり。後深草と亀山。亀山の徳政。皇統の決定と鎌倉幕府。永仁の徳政令。社会構造の転換。貨幣の浸透と商人道徳。すべてが銭に換算される。侍層の進出。所領経営の請負。料所。コラム4『とはずがたり』の世界。

 後深草院は政務からの排除を不満とし、亀山院政開始の翌年には、太上天皇の称号を返上して出家するなどと言いだした。折しも文永の役の直後であり、対立・混乱の芽を摘んでおきたい幕府は、後深草皇子の熙仁親王を皇太子に立て、後深草の系統に治天の地位が移る可能性を確保した。ここに皇統が持明院統(後深草系 のちの北朝)と大覚寺統(亀山系 のちの南朝)の両統によって運営される「両統迭立(てつりつ)」の端緒が開かれたのである。(272p)

 井上靖『楊貴妃伝』52p。740年、唐の玄宗は、息子寿王の后・楊玉環を温泉宮に召し出すよう命を下す。楊玉環は玄宗のもとに召し出され、寵を受ける。

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