雑記

2011年5月18日
地震とは全然関係ないこと
Z2日目。9日目あたりはどうなっているのだろう。心配だ。。その後さらに20日間くらいはやばい状況が続くようだ。




雑記

2011年5月16日
 ブルックナーの交響曲第2番を聴く。いつも聴いて思うことは、60分を越える演奏時間なのに1楽章から4楽章を通して感じ取れる統一感の見事さだ。












 

雑記

2011年5月8日
 朝方岩手沖でやや大きな地震がある。M5.7。連動するように福島も揺れる。目立つ地震は福島で多かった。いわき・会津・銚子沖あたりはいまだにくすぶりつづけている感じ。311直後、大きな地震が続いた秋田沖、新潟中越、静岡あたりは比較的落ち着いている。東日本一帯はるか沖も特に目立った地震は無い。

 前々から書いているけれど、小さな地震が多く起こっている地域には、地震注意報を出して注意を促した方がいいと思う。これだけの地震が起こった今こそが改革のチャンスだ。

















 


雑記

2011年5月7日
 会津でやや大きな地震。311以来ずっと小さな地震が群発してきたが、この地震をきっかけにどうなるか。。

 中央構造線あたりで西日本でも時折地震が起きているのも気になる。

 311の起きたあたりでは、5月5日に岩手県沖でM5.9のやや大きな地震があったが、その後M5クラスの地震は起きていない。

 一方で収まってきたかに思えたいわきで、6日にM5.3のやや大きな地震。震源のほとんどは井戸沢より西側に集中する一方で、赤井など集中して起こる場所もある。全体としては収束方向なのかもしれないが、まだ油断がならない。このあたりの推移は、中越地震が参考になるかもしれない。



 個人的な状況は、相変わらず良くない。これから一ヶ月が最大の山場になりそうだ。何とかもちこたえたい。。





 



 





雑記

2011年4月30日
 少し落ち着いたかにみえたが、岩手沖、福島沖でやや活発になってきた。KiK-netも今日はあちこちが黄色~黄緑になり、その頻度も高い。比較的収まっている時期と活発な時期があるのが気になる。千葉沖はそのうち必ず起きそうだと思っているが、それより先に311の震源近くでまた大きな余震が先に起きそうで怖い。一方で、一日一日の生活を大事に過ごしていかなくてはならないが…。











 

雑記

2011年4月28日
 宮城県沖M4.8と福島県沖M5.7。比較的大きい地震が起きる。宮城沖でやや地震増えたか。。逆に千葉沖ではやや地震が減ったようだ。宮城沖・福島沖はここ数日警戒しないといけないか。。

 いわき北茨城の地震は、昨日と同じく内陸部でやや活発だ。高萩断層とか塩ノ平断層などより西側内陸部。また未知の断層があるのかもしれない。

 以下、同工異曲。

 これまで長いこと常磐線に乗って北上しながら山の景色を見てきた。この辺に横たわっている阿武隈高地というのはそもそも老年期の山地ということで有名で、基本的には、なだらかで特徴のない山容が延々と広がっている。

 しかし、よくよく見ているとその特徴のない山容にもいくつか傾向があるのがわかる。以前から、山の見え方として、いわきという場所がちょっと特殊だなと思ってきた。

 阿武隈高地は、国道6号や常磐線から見ると、久慈川を越えてから急に屏風のように西側に現れ、以北に延々と広がる。ところが、福島県に入って鮫川を越えたあたりから様相が変わる。鮫川以北になるとこれまで屏風のようにあった山々がやや内陸の方に入ってしまうのだ。大雑把にいえば、この内陸に山々が入っていくライン上に井戸沢断層や塩ノ平断層がある。

 さらに、北上すると正面に特徴的な山が見えてくる。湯本温泉のシンボルともいえる湯ノ岳だ。湯本あたりから見ると独立峰のようにみえるが、実は湯ノ岳を起点として500~700mの山々が南東から北西方向に延々と平田村の芝山方面まで延びている。この山々に沿ってあるのが湯ノ岳断層だ。

 湯ノ岳の北側には、水石山というなだらかな山がそびえるが、この水石山の南東側は急斜面で、地滑り地帯として有名な成沢がある。

 湯ノ岳と水石山の間を流れているのが好間川だが、二つの山を結ぶライン上にV字谷がある。標高200~300mの山を割るようにしてこの川は流れているのであるが、このV字谷をつくった山々の隆起活動を、以前から自分はとても気になっていた。

 前にも書いたけれど、地図でみると、このV字谷をつくった山塊がさらに北に延びて水石山東麓の山々(閼伽井嶽など)に連なっているように見えるのだ。そして、その造山運動が、湯ノ岳などの南東から北西への連なりと全く矛盾しているので、いわきというのは、地質が安定しているといわれる阿武隈高地にあって唯一複雑で不安定な場所なのだなという認識を持っていた。

 この辺の地震活動がこのまま収まってくれるといいのだが、上記のような理由で一筋縄ではいかないのではないかという不安をずっと持っている。

 茨城から福島沿海側は、日立からいわき勿来あたりと、四ッ倉以北から宮城岩沼あたりまでずっと南北方向に山々が連なるが、いわきのみ、湯ノ岳・水石山(閼伽井嶽)・二ツ箭山と南東から北西方向に山塊が割って入るようにそびえる。

 いわき北茨城の内陸地震の起きた範囲は、この基本的には南北方向に連なる山々に割って入った、南東から北西方向の山々が連なる範囲に基本的には限られているような気がする。

 専門家ではないので、根拠があるわけではないが、いわき北茨城の群発地震は、おそらくこの南東から北西方向に連なる山々周辺に限られ、南北方向の山々の連なるあたりには及ばないような気がする。311地震では、福島あたりはずいぶん東の方に土地が引っ張られたようだが、東方向に引っ張る力によって、いわき周辺の南東から北西へ山々を形成する力のバランスがだいぶ崩れたものと考えられる。

 あともう一つ気になることは、阿武隈高地は基本的には老年期の山々であるが、東海岸ではかなり隆起活動が盛んだということだ。ふたばだんそうはここしばらくは動いていないようだが、はたがわだんそうのほうはどうなのだろう。















 






 

 






 

雑記

2011年4月28日
 春は風が強い。



 昨日くらいから、日本気象協会サイトの地震情報が以前よりまめになった気がする。これまで地震が多すぎて、M3クラスくらいのを載せる余裕がなかったと思う。収まってきている表れともいえる。

 今日は長野北部でM4.5と比較的大きな地震があったものの、その他はあまり目立ったものはなかった。起こる頻度は昨日と今日であまり変わっていないようだ。
Hi-netをみても昨日と比べてあまり変化がないような気がする。長野北部で再びふえてきたのと、銚子沖の震源がやや浅くなったくらいか。

 天気が回復してきた時、ちょっと注意か。。











 



 



雑記

2011年4月24日
 当時の状況をより詳しく聞く。

 実家。風呂のガラスが割れる。本棚・食器棚から、本類・食器類が飛び出し、食器類のほとんどが割れる。花瓶なども落ちて割れる。

 母親昼寝中、父親畑仕事中。ベットのまわりには大きな棚がなく、母親廊下を這うようにして家を脱出。津波は、家の1.5㎞手前のところまで来る。

 家や塀などに被害無し。瓦も落ちていない。

 弟宅。大きな本棚が倒れる。弟は休暇中で、たまたま在宅で昼前まで寝ていたらしいが、起きたおかげで本棚の下敷きにならずに済む。家に被害無し。

 兄宅。免震対策をしていたおかげで、茶碗一つ割れただけで済む。家に被害無し。

 自分。茶碗2つ割れる。本棚の一部なだれ落ちそうになるが、何とか踏みとどまる。家に被害無し。





 



雑記

2011年4月18日
 国も新聞も何も信用できない。では、何を信用すればいいのか。結局、まわりに出回っている風評を何となく受け入れるしかない。でも風評の元はデマだったり、突き詰めれば国や新聞の拡大解釈だったりする。どうせばれるのだから、悪い情報であっても正しい情報を流すことが何よりも大事だと思う。そして、嘘を嘘と見抜けるようにしないといけない。出る情報を鵜呑みにしないことだ。出てはまずい情報は隠し、都合のいい情報のみ出すものと考えることだ。。

















 


雑記

2011年4月17日
「あのパンチパーマのオヤジの図々しさにあきれた。」

 昔、学生の時、あの災いの元を訪れたことがあって、そこの責任者らしき人物の説明を聞いた時の感想を一言書いたことがあった。その言葉を思い出して、書いてみたのが上の文だ。

 何が図々しいと思ったのかというと、あの時、あのオヤジは「ここは絶対安全だ、不安を言うやつはバカだ、うっとおしい」というようなことを何べんも言っていたからだ。現場責任者としてのいろんなプレッシャーがあったならではの発言だと思うが、学生に対して説明する上で極めて粗暴な発言だったと思う。

 あの当時でも、結構深刻な事故というのは実はあって、十数年もたってから明らかになった。そういうのが知れ渡る以前にも、最前線に入る人々が高いお金(とはいっても御殿を建てられる額ではなく、せいぜい時々昼から酒を飲める程度の額)をもらって働いて、何年も働くと体調を崩してガンで死んでしまうという話をいくつも見聞きして知っていた。

 そういうのを知っていたから、あのオヤジの言うことが白々しく思えた。働いている人の中で、健康を害する人がいるのだから、絶対安全なはずはないだろう。絶対安全なら、そういう人々がいるのはおかしいと思っていた。

 一方で、いろんなアレに対する賛美の広告の洪水にも浸ってきた。アレは科学技術の象徴として存在していたし、それを伝えるためのパンフレットや、施設などは何度も見てきた。鉄腕アトムが冷え切ったジャングルに原○力えねるぎーによる人工太陽を運ぶというマンガをもらったこともあった。

 あの当時は、うまく情報を整理できない面もあった。でも、ちぇるのぶいりの事故が起こって以来、認識は一変した。ああいうことが今後起こりうる可能性があるなという恐怖がずっと自分の中に棲みつくことになった。自分には地元に戻るという選択肢もあったし、事実一度戻りかけた。だが、心のどこかで恐怖が残っていたのもあって、最終的に戻らないと選択した。

 結果的に自分の判断は間違っていなかった。だが、ものすごく後味が悪い。自己嫌悪すら感じる。この心のもやもやをどうすればいいのだろう。



















 













 




雑記

2011年4月14日
 群発地震がまだおさまらない。こわいのは、その北の双葉断層が動くことだ。ただ、いまのところ動いてはいない。

 高校生の頃、図書館で活断層地図のようなものをみつけて、チェックしていたことがある。それによると、1920年代に双葉断層の先のほうにある久の浜あたりでM6クラスの地震が起きていたようなのでちょっとびびった覚えがある。本当に断層由来かどうかはわからないが…。

 ただ、今の時点では、断層よりも311の震源付近の余震の方がまだ確率が高いような気がする。あれだけの地震だったのにも関わらず、あの断層はまだほとんど動いていないようだ。

 何とかうまい具合に収束してくれないものか願わずにはいられない。



 一方で、今回の地震で、気象庁のダメさ加減には心底失望させられた。東電や政府より目立たないけれど、今回の気象庁の不手際はかなりひどいと思う。放射能拡散情報に関して、隠匿することばかり指示して、かえって混乱させた。

 以前から、地震に関して注意報のようなものを出せないのかと不思議に思っていたのだけれど、一向にやる気配はなかった。それでも、3月9日の地震とその後幾度も起こった余震のマグニチュードの高さに関して、もう少し注意を喚起する必要があったと思う。天気予報並みの流通性で情報をもっと流せば、もっと一般住民は注意できたはずだ。

 日本は、立地上地震が起こるのはしょうがない場所だ。過去にたびたび被害に見舞われても、復活してきた。復活するためにも、今後、天気予報並みの頻度で地震予報的なものを、はずれてもいいから示していく必要があるだろう。

 TVや携帯の緊急地震速報は空振りが多いものの、それでも一定の効果があったと思う。それとは別に各時期・各場所での地震が起きそうな傾向を示すだけでも注意を促す効果は十分にある。なんとかしてほしいものだ。















 

 





雑記

2011年4月12日
 親に電話。船に乗っているようだったらしい。治まってくれるといいのだが、あそこは断層が複雑にあるからな…。

 西北西から東南東に延びる断層が少なくとも3つあるけれど、それと交差するように隆起した山塊が南北に延びる箇所がある。具体的に書くとよしま川のV字谷を形成している山々だ。この山塊は、南の方から延びてよしまがわを塞ぐようにそびえ、さらにみずいし山の東麓を越え、ふたつや山の手前で沈んでいく。たぶんここにも断層があるのだろう。方向の違う断層が交差していると考えると、今回の地震は一筋縄ではいかないだろうと思う。

 あぶくまは比較的地盤が安定しているけれど、I市周辺はかつて海底火山はあったし、温泉がわくところはあるし、ちょっとしたほっとすぽっとのようになっているのかもしれない。今後も注意しないといけない。

 こちらは、千葉県沖の動向に注意していかないといけない。今朝起こったのだけで済めばいいのだが、どうも安心できるような感じではない。千葉で大きいのが起きて、東京湾・相模灘、駿河湾と連鎖してしまうのが何よりも怖い。


追記
 I市の地震は、井戸沢断層が動いたことによるようだ。だが、群発地震の震源をみるとそれだけではないと思う。この辺にある断層全てが動いていると思う。みずいし山南麓は、地滑り多発地帯(そのために「なるさわ 成沢(音が鳴る沢?)」という地名がある)なので、今後も心配だ。

さらに追記
 Hinetによると、井戸沢断層の前に、北茨城高萩あたりの断層と、あかいだんそう、ゆのだけだんそうなど南北の断層が既に動いていたようだ。ふたつやだんそう以北は動いていない模様。。ふたばだんそうも心配だが、ふたつやだんそうとやくきだんそうあたりの動向をみてからということになるか。。。

 

 







 













 





 

雑記

2011年4月11日

 茨城北部~いわきの群発地震は怖いなと思っていたので家族に警戒メールを送ろうと思っていたところで、起こってしまった。とりあえずは無事のようでよかった。

 となると、銚子沖と会津北部にも注意しないといけない。これまであまり起こっていなかった場所で小さな地震がやや増える動向に注目していきたい。

 自分の「感覚」だが、あまり変化はない。ただ今日の午前中は頭痛気味だった。今はない。漠然とした不安な感じは残ったまま。












 





雑記

2011年4月6日
 新学期が始まったけれど、放射能の値が強い地域は慎重にしないとやばいだろうな…。子供と母親の安全を第一に考えないといけない。最悪の事態を考慮しないといけない。事故から一カ月たっているのだから、その間にちぇるのぶいりがどういう経過をたどったのか復習する時間はあったはずだ。

 値がただちに影響はないらしいが、時間がたてば蓄積量次第では影響を及ぼすというのが悩ましい。。





雑記

2011年4月5日
 ここ数日うまくバランスを保てないできた。漠たる不安に行動を妨げられてきた。でも、結果はどうあれ結局は動くしかない。それしか道はない。まだまだ甘ったれていると思う。

 余震は少なくなったけれども、ある場所で起きると連動するように別の場所で次々に起こる。思うに、その要因には様々な理由があって、一つには絞りきれないようだ。起こる原因は必ずあるのだろうけれど、その起こる場所や時期的タイミングはまちまちで、従来の地震学的なものだけでは到底把握できないような気がする。

 地震に関する解説を見て、一番不可解なのは、たとえば、今回の東北地方太平洋地震の後で起こった長野北部や静岡で起こった地震に関して、地震学者が言った「両地震とも地震のメカニズムや震源域は異なり、直接の関係は無い」というような発言だ。それぞれの事象や地震のメカニズムに関して局所的にしか捉えていないのではないかという不安を呼び起こすような発言が多い。最初の前提となるべく仮説に不備があるような気がしてならない。

 地震という現象は、科学的に説明がつくものではあるけれども、起こる要因やタイミングは偶発的要素が多々含まれると思う。ある程度予測のつく部分は持つものの、所詮は目にみえない地中の現象だから、不確定要素がつきまとう。そして起こった結果のみがクローズアップされる。

 実は大地震になりそうだったが、いくつかの中規模の地震の連続で終わったとか、大地震だったけれど震源域が人が住んでいないために注目されずに終わったとかいう事例も数多くありそうだ。

 やはり、地震予知に関しては、歴史的叙述の積み重ね、あるいは歴史的叙述の細かい事象の分析などに、解決していくための方向性の一つがあるのではないかと思う。














 






雑記

2011年4月3日
 生きているありがたみをかみしめながら、記録を残していかなくてはならない。。




雑記

2011年4月2日
 気象庁は、もう少し放射能に関する情報を正確に示す必要があるのにろくに示そうとしない。かえってデマが起こりやすい状況にしてしまっている。何とかならんかね。。

雑記

2011年4月1日
グーグルマップで被害状況を写真で見る。長年見慣れてきた景色がこうも変わってしまったことに対して唖然とする。。

 細々と現地情報を入手。結構人が入っていることに驚く。一方でそれに乗じて空き巣が入っていることが不安だ。












 



雑記

2011年3月26日
家族それぞれの避難地点の状況を聞く。どこもかなり殺伐としているようだ。皆、今後ちぇるのぶいり級になることをものすごく恐れている点で一致していた。

 いろいろ裏話を聞く。心が痛む。

 






















 

雑記

2011年3月26日
毎日のように某所を遠望しているカメラの場所は、たぶんきっとやさんあたりだろう。検索かけてみたら、地元民は気づいているようだ。ということは、あの悪路で名高い399はかげくずれとかは大丈夫だったのかな。。それともおぎゆり、たかべ、ともんあたりを通ってきたか、あるいは北からか。



 


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