20130831

2013年8月31日
 午後討論会。討議を重ねる。非難囂々。劣勢。

 夜、半沢直樹を強制上映される。「やられたらやり返す。1/2返しだ。翌週は1/10返しだ。」とか言っていたらウケていた。

 結局何もやらず一日が終わる。

 「世に棲む日々」3-P26まで読む。高杉晋作のことを、奇兵隊をつくったくらいしか知らなかったのだが、ここまで読んでこれはエライ男だと思った。あの当時、中国の上海に行って西欧各国の租界で西洋文明の進展の度合い、海軍力の強力さを目の当たりにしながら、日本に帰ってかえって攘夷運動を激化させたあたりは確信犯としての凄みがある。 

 2-P255 長井雅楽(うた)「航海遠略策」

 2-P275 「癸丑以来」 癸丑(みずのとうし)→ペリー来航の嘉永六年(1853年)

 2-P286 古来、日本人が外国文明をその目で見た時、たれひとり平静でありえたことがなかった。自己嫌悪か、さもなくば狂おしいばかりの自己肯定か、さらには相手文明に対する礼讃か、恐怖。そういう極端な心理を経ずに接することができなかった。

  

20130830

2013年8月30日
 今日は途中で目覚めなかった。

 暑さが戻る。10月に外になるかもしれなくなる。いろいろ対策を立てておく必要あり。

 1週間終わる。いつもよりはダメージがあった感じ。

 「世に棲む日々」2-196ページまで読む。松陰はペリーの黒船に乗り込んで密航を企てるが失敗し、獄に入る。本来なら死罪に相当する罪だが、藩に庇われて実家に蟄居となる。その蟄居中に開いたのが有名な松下村塾で明治維新を起こした志士を多く育てる。そこで第二の主人公である高杉晋作が登場する。しかし松陰はやがて井伊直弼の安政の大獄に絡みとられ刑死する。

 1-P306「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ。」

 2-P92 国木田独歩「富岡先生」 松陰と同じ獄にいたことがきっかけで松下村塾の教授をやった富永有麟をモデルにした小説

 2―P138 この列島の上にある権力は、外圧という地平線のむこうからくる、怪物によって左右される。

 2-P162 革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるだろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家たちもまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる。

 

20130829

2013年8月29日
 今朝も3時40分頃に夢で目が覚めてしまう。しかし、その後寝たらその夢の内容を忘れてしまった。夢で起きたということだけ覚えている。

 今日はだらだらやっている。

 9月以降の体制でやっていけるか。。

 「世に棲む日々」1-282ページまで読む。松陰は脱藩の罪で藩を追放処分となるが、かえって世の中を歩いて見識を広める機会をつくったといえる。諸国を放浪したあと、江戸に出て佐久間象山の門人となる。門人となって間もなく黒船が来航し江戸は大騒ぎとなる。象山も松陰も浦賀まで行って黒船をつぶさに観察する。

 1-P270 要するに、この時期の松陰自身は気付かなかったが、専門者ではなく総合者であるようだった。そのするどい総合感覚からあらゆる知識を組織し、そこから法則、原理、もしくは思想、あるいは自分の行動基準をひきだそうとした。


20130828

2013年8月28日
 珍しく夢で目を覚ます。朝の4時。その後もう一度寝るがまた夢をみる。

 F市行き。多摩の山と丹沢の山はつくりが違うなあと思う。多摩の山は穏やかだが、丹沢の山は造山運動の過程にあるから雄々しく見える。

 自分が甘っちょろいことに再度気づかされる。結局行きつくところは金。。

 「世に棲む日々」1-210ページまで読む。松陰は友人との約束を守るという青臭いことで脱藩し、その後藩に戻り罰を受ける。ものすごく突き抜けたものがあるのに、一方では全く欠落しているものがある。でも、その欠落したところを周りが補ってくれようとしてくれるのも才能のうちなのだろうと思う。

 1-P175 この当時、日本の読書階級は中国史に明るく、日本史の知識についてはほとんど無いにひとしいといっていい。(中略) 幕末の志士たちの日本史教養は「日本外史」(頼山陽)一冊であったといっていい。

 



 

20130827

2013年8月27日
 雑文を書き始めた。これはいつかちゃんとやらねばなるまい。。

 昨夜降った雨が秋の空気を連れてきた。晴れていたが過ごしやすい陽気。今週末に天気が崩れ、また蒸し暑くなるようだ。

 昨日に比べて今日はとても楽だった。明日もF市行きだが、昨日よりはましだろう。

 司馬遼太郎「世に棲む日々」1の159ページまで読む。吉田松陰と高杉晋作を主人公に据えるようだ。これまで吉田松陰とかには大して興味はなかったが、ここのところ一連の司馬作品を読んで、だいぶ背景がわかるようになった。生い立ちを見てみると、ものすごい英才教育を受けているから、世に出るべくして出た人なのだろうと思う。

1-P56 尾崎秀民「東潜夫論」

1-P73 清の魏源『聖武記附録』 古に仿えば今に通ぜず 雅を択べば俗に諧わず (古学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの課題がわからなくなる。また、格調の正しい学問ばかりやっていると、実際の世界のうごきにうとくなる。)

1-P85 清の魏源『聖武記』全十四巻 そのなかに「日本人と西洋人はどちらがつよいか」という素朴なテーマの評論がある。

1-P95 藩は、人間のようである。三百ちかくある諸藩は、藩ごとに性格もちがい、思考法もちがっている。

20130826

2013年8月26日
 F市行き。月曜なのに金曜のような疲れ方をしてしまう。いかに普段リラックスして作業していたかということを思い知らされる。

 それでも朝は山河を愛でる余裕があった。多摩の山のことを全く知らないのだが、それぞれの峰に名前があって親しまれていたことを想う。

 KHの先祖は仏像だというバカ話をしている。運慶に彫られて生み出された仏像の子孫なのでどことなく仏像っぽい顔だ。どことなくガンダムにも似ていらっしゃるかもしれない。

 村上春樹『レキシントンの幽霊』を全部読む。「緑色の獣」「沈黙」「氷男」「トニー滝谷」「七番目の男」「めくらやなぎと、眠る女」。どれも結構面白かった。この中では「七番目の男」が秀逸だと思った。

P82「沈黙」 たとえ今こうして平穏無事に生活していても、もし何かが起こったら、もし何かひどく悪意のあるものがやってきてそういうものを根こそぎひっくりかえしてしまったら、たとえ自分が幸せな家庭やら良き友人やらに囲まれていたところで、この先どうなるかはわからないんだぞ。

P84「沈黙」 でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判で受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当りの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。

P177「七番目の男」 恐怖はたしかにそこにあります。(中略) しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。

20130825

2013年8月25日
 温度が下がったせいかよく寝てしまう。昨日ビール2缶飲んだのも影響しているかもしれない。昔のように沢山飲めなくなった。

 冷やし中華を食う。冷やし中華は結構好きで冬でも食いたくなる時がある。1人の時は3玉一遍に食う時もある。

 「門」読み終わる。宗助と御米夫妻は、実は駆け落ちしたことが明らかになる。宗助は大学の同級生だった御米の兄安井を裏切る形となってしまい、トラウマになっている。その安井が宗助の家主である坂井の弟と知り合いであることがわかり、そのトラウマが一気に復活し、精神的に不安定になる。その不安をはねのけるためにつてを頼って鎌倉の禅寺に10日ほど籠るが、不安はかえって増大し、痩せこけて家に帰ることになる。しかし、その間に坂井の弟と安井は日本を離れたことがわかり、不安が去ったことで宗助は精神の安定を取り戻す。

 明治時代は45年まであるが、その40年間で日本は劇的に変わったのだなということを思い知らされる。文明的な生活を送って、その生活の中での小市民的な悩みに汲々としている。そして、それは今にも通じる。これからもっと殺伐な時代がやってきたら、漱石や村上春樹の小説は打ち捨てられる時が来るのかもしれない。

 村上春樹の「レキシントンの幽霊」を読み始める。短編集。「レキシントンの幽霊」P3-P38 「僕」は、アメリカで知り合った建築家と親しくなった。その建築家がイギリスに行くことになり、家の留守番を「僕」に頼む。留守番をすることになった初夜、2階の客室に泊まった「僕」は夜中の1時過ぎに目を覚ますと不思議な物音を聞く。

 

20130824

2013年8月24日
 よく寝た。何か夢を見たがまた忘れる。花火。途中で雨。

 人は認識している範囲外にはなかなか出られないものだ。。

 「門」200ページまで読む。昨日はすぐに眠くなる。今日ももう既に眠い。  

20130823

2013年8月23日
 権力は持った時点で腐敗している。

 ねちっこいぐずり。

 「門」184ページまで読む。宗助御米夫婦の貸家に小六が住むことになり、お互いが窮屈な思いをする。泥棒が入ったのと宗助が古物商に売った屏風を買ったことがきっかけで裕福な家主の坂井と親しくなる。一方で御米が小六を加えた生活の変化が原因で体調を崩す。御米が体調を回復してから、夫婦の間で子供がいないことが話題に上り、これまでの幾度に渡る流産の経緯が語られる。

 P92 抱一の屏風→酒井抱一(1761~1829) 江戸後期の絵師、俳人。尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となった。


20130822

2013年8月22日
 今日の聞き間違い
 「ご了承ください」→「ごり押しを下さい」

 F市行きは来週になりそうだ。少し拍子抜けする。今日は薄曇りでやや暑さが和らいだが、部屋の中は相変わらず蒸す。夕方に埼玉の方で稲光が見えたが、こっちには来なかった。

 恐竜の種類に、ケモノリュウ(ティラノザウルスなど)、ツノリュウ(トリケラトプスなど)、ヨロイリュウ(アンキロサウルスなど)、カミナリリュウ(ブロントサウルすなど)などの名称があることを思い出す。幼稚園の頃百科事典で読んで覚えたものだ。ケモノリュウという言葉にインパクトを感じたらしく、節をつけて歌ってさえいた。。

 夏目漱石の「門」を80ページまで読む。主人公の宗助は東京近郊で妻と比較的平穏な暮らしを送っているが、父の家屋財産を預かったままにしている叔父一家と微妙なわだかまりを持っている。弟の小六が大学に行くための金が必要になったためにその問題が表面化し、宗助たちの生活に波が立ち始める。

 p15~20 明治42年(1909)10月26日頃の東京の街の様子が描かれる。電車内の光景、街の風景。もう既にラッシュアワーが存在することに驚く。

 P27 伊藤博文がハルピンで暗殺されたことを話題にしている。


  
 

20130821

2013年8月21日
 午後雷雨。雷よりも雨が激しいタイプ。今日も3ヶ所から発生した雷雲が合体して大きくなった。雨が降っていったん涼しくなったが、夜になってまた気温が上がったような気がする。すごく蒸している。

 あまりはかどらない。もっと情報をうまく記録する方法はないものか。。

 ややぐずり。

 昨夜は本を読まないで寝る。寝付くのに時間がかかる。


 

20130820

2013年8月20日
 朝方、ドヴォルザークの交響曲第3番を聴く。自分にとってこの曲は2011年の喧騒をたっぷりと吸いこんでいて、何とも言えない気持ちにさせられる。曲の主調が変ホ長調で2楽章が葬送行進曲風なところが、英雄交響曲を想起させる。ドヴォルザークがこの曲を「第3番」と認識していた証かもしれない。でも、構成は単一主題をソナタ形式風に扱った1楽章と、長大な悲歌が続く2楽章と、泥臭い田舎舞踏の第3楽章の3つから成り立っていて、風変わりだ。この曲はドヴォルザークのベストとはいえないけれど、結構いい曲だと思う。生きていることを実感する。

 今日は病院の日。この家に棲息する赤ん坊を起こすのに手間がかかる。今回も基本的に問題なし。午後は、飯屋だの茶店だのでぐだぐだしている。茶店では居眠りまでしてしまう。

 「火車」読み終わる。終わりの方は読み飛ばした感じ。小説の賞味期限のようなことをすごく考えさせられた。ある面に関してはこの小説は賞味期限切れだ。。

 昨日の夜から今日にかけて「ノルウェイの森」を読む。高校生の時以来本当に久しぶりで読んだが、ほとんど初めて読んだのに近い。高校生の時にはこの小説を理解する素地がほとんどなかった。主人公の、主体性がないくせに変に女にもてる感じが腹立たしかったし、ヒロインの一人である緑がやたら「ロバのウンコ」だのセックスのことだのデリカシーに欠ける発言を連発していてクソビッチ女だとむかついたし、豚のような小説だと思っていた。今回読んでみて、豚のような印象は正直あまり変わっていないのだが、その豚のようなことを多種多様な比喩で様々に語っているのだなくらいのことはわかった。この小説の中で、自分に似ている人物を探すとしたら、「突撃隊」はちょっと似ている部分がある。こいつみたいに几帳面ではなかったが。。

 どうでもいいことだが、荒木飛呂彦は村上春樹を相当読みこんでいるんだろうなとふと思った。セリフ回しが何となく似ている。

 上P54「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」

 上P65 フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビイ」 村上氏訳
 
 下P13「世の中にはそういう人っているのよ。素晴しい才能に恵まれながら、それを体系化するための努力ができないで、才能を細かくまきちらして終わってしまう人たちがね。」

 下P114「あれは努力じゃなくてただの労働だ。」「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ。」

 
 








20130819

2013年8月19日
 相も変わらずあちい。無事に一日が終わる。昨日は住まいの壁にセミがへばりついてやかましく鳴いていてなかなか寝付けなかった。今日は静かなものだ。この昨日と今日の違いはなんだろう。

 「火車」406ページまで読む。昨日あたりから気になっていたが、この小説が書かれた20年前と今とのギャップが思った以上に大きいことを感じる。そのギャップが気になってしまって小説に入り込めなくなってしまった。



 

20130818

2013年8月18日
 休み終わり。早い。申し訳程度に掃除。明日、水曜以降のことがわかる。F市行きになるか。

 「火車」283ページまで読む。失踪した彰子が自己破産した時の担当弁護士だった溝口の話が興味深い。ただし、この小説は20年近く前に書かれているので、法律や状況もだいぶ変わっていると思う。

 P172「火車の、今日は我が門を、遣り過ぎて、哀れ何処へ、巡りゆくらむ」『拾玉集』

 P176「現代のこの世の中で、クレジットやローンのために破産に追い込まれるような人たちは、むしろ非常に生真面目で臆病で気の弱い人たちが多いんです。」

 P177「1960年。これは、わが国の高度成長元年でもありますな。それだけ国が豊かになろうとしている時代だった。クレジット産業が誕生するのは、時代の必然だったわけです。」

 P180「金融市場は、もともとが幻です。」「だが、それは言わば、現実社会の『影』としての幻なんですよ。」

 P182「消費者信用が身長2メートルなのに十メートルもの影ができている。その大きな原因が、これから申し上げる無差別過剰与信と、高金利・高手数料なんですよ。」

 P187「常識的に考えたら、二十歳かそこらの若者に、一千万も二千万も貸す業者がいること自体がおかしいでしょう。しかし、現実にはいるんです。(中略)そういう重しに、債務者が―転がり落ちるに連れて借金が重なってゆく多重債務者がくくりつけられて、二度と浮かび上がることのできないところまで沈んでいく。」

 P190「金利というのはおんぶお化けみたいなものでね。先へゆくほど重くなる。」「企業はどの業界でもみんなそうだが、客には美味しいことしか言わんですよ。こっちが賢くなるしかないんです。」

 

 

 


 

20130817

2013年8月17日
 世界陸上男子マラソン中本5位。最期まで先頭集団に食らいつく姿勢を見せたのはよかった。ほかの選手が早い段階で先頭から脱落してしまって残念だった。TBSのアホ実況に対してはだいぶスルー力が身に着いた。


ステファン・キプロティチ(ウガンダ) 1位
5km 15:55 15:55
10km 31:32 15:37
15km 46:40 15:08
20km 1:01.50 15:10
25km 1:17.12 15:22
30km 1:32.37 15:25
35km 1:48.00 15:23
40km 2:03.23 15:23
F 2:09.51 6:28

レリサ・デシサ(エチオピア)2位
40km 2:03:23
F 2:10:12 6:49
タデッセ・トラ(エチオピア)3位
40km 2:03:25
F 2:10:23 6:58
ツェガイ・ケベデ(エチオピア)4位
40km 2:03:35
F 2:10:47 7:12

中本健太郎 5位
5km 15:53 15:53
10km 31:33 15:40
15km 46:40 15:07
20km 1:01:49 15:09
25km 1:17:12 15:23
30km 1:32:36 15:24
35km 1:48:02 15:26
40km 2:03:44 15:42
F 2:10:50 7:06

藤原正和 14位
2:14:29
前田和浩 17位
2:15:25
川内優輝 18位
2:15:35
堀端宏行 途中棄権


 「火車」158ページまで読む。昨日は眠くなってしまってすすまなかった。

 


20130816

2013年8月16日
20130816
 江戸とうきょう建物園に行く。なかなかいがった。暑かったせいか人も少なく、人嫌いの自分としては快適にみることができた。目当てのものをチェック。かつてはメインディッシュだったものが刺身のツマのような扱いになっていて少し気の毒な感じになっていた。高橋是清邸をみる。226事件で暗殺された時の建物であるということもさることながら、83歳のお爺さんにとってあの邸宅の階段は急だと思った。

 その後吉祥寺へ。パソコンをみる。新しいものを一式揃えたいものだが、もう少し時間がかかりそうだ。。しぶやに本店のある某店に入る。食い物には満足したがエアコンから出てくる空気が臭かった。

 「峠」下読み終わる。小千谷会談が決裂し、長岡藩は奥州列藩同盟に加盟し、新政府軍と戦争状態に入る。小千谷会談の新政府側の代表が「歳月」でも出てきた岩村某で、やることなすことが最悪だ。その後長岡藩は一度奪われた長岡城を奪い返すなど善戦するも、河井は銃弾を受けて重傷を負い、会津に退却する途中で亡くなる。当時の世の中を見通す優れた視点を持っていた河井であったが、戦争になってからの奔流のような時流の流れに押し流されどうすることもできなかった感がある。

 下P301 人間、成敗(成功不成功)の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、遺された唯一の道として美へ昇華しなければならない。「美を済す」それが人間が神に迫り得る道であると、継之助はおもっている。

 下P390 古来、人間の才能の中で将軍の才能ほど稀有なものはない。むかし源平合戦のころ、あれほど武将がむらがり出たというのに、将才を持った者はわずかに源義経ひとりであった。また百年間戦いがつづいた戦国時代ですら、この才能のもちぬしは数人出たにすぎない。
 継之助は、その稀有の才能にめぐまれている。が、この人間のおもしろさは、自分のその才能を使用せねばならぬこの状態というものを天下と藩国のための最大の不幸としていることであった。

 あとがきP432 人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。人はどう思考し行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教である。この二つが幕末人をつくりだしている。

 宮部みゆきの「火車」を127ページまで読む。休職中の刑事本間は、親戚の栗坂の失踪した婚約者捜索を依頼される。しかし、調べていくうちに、その失踪した婚約者の女性が、別人の名前と身分を名乗っていることが明らかになっていく。

 宮部みゆきというと男の子好きという印象がある。ちょっと繊細で魅力的な少年を好んで小説に出してくる。この小説だと本間の養子の智が当てはまる。

 P68 五年か、と思った。人生が右から左に激変するには十分な年月だ。

 P73~P74 藤原道長の娘で一条天皇の妃の彰子。彰子に紫式部が仕える。ライバルの定子のところには清少納言が仕えていた。

 P113「(前略)戸籍は、刑法で定められている、ある犯罪を防いでいますからね。」(中略)「重婚ですよ。」

 P117 あのガソリンは、換気扇についた頑固な油汚れを落とすためのものだ。






20130815

2013年8月15日
 休み。寝足りなかったせいか眠い。昼寝をする。夢をみるが忘れる。すごく汗をかいている。

 今日は地元では盆踊りの日だった。この辺でやる盆踊りは太鼓だけ叩いてあとはカラオケなのが興醒めだ。地元の盆踊りでは、いつも親戚のNさんが歌っていた。何人かで唄と笛と太鼓をローテーションで回していたと思う。

 「峠」下236ページまで読む。新政府軍が次第に近付く中、長岡藩は奥州列藩同盟につくべきか、新政府軍に降伏するか難しい選択を迫られる。

 下P25「人は、その長ずるところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけない。かならず事を誤る。」

 下P35「一時点にかぎっていえば物事はにっちもさっちもゆかぬように見える場合でも、時が経てば世の中のことは徐々にかわり、やがて事態がまったくちがってしまう。どうにもならぬときは、いそがぬことだ。」

 下P91 孟子「威武にも屈せず」

 

 

20130814

2013年8月14日
 今日も雷雨なし。明日明後日は休みをもらう。明日が休みだと思うと、気持ちがだらける。

 「峠」中巻542ページまで読む。鳥羽伏見の敗戦後、進軍しようとしている新政府軍を恐れて混乱する江戸で河合は長岡藩を武装中立させるための準備を着々とやっていく。

中P488 人間は自然の状態では悪であり、馬鹿であり、臆病であり、恐怖の前にはどうすることもできないいきものだと最初からきめつけてかかり、そういう上に組み上げていったのが洋式軍隊というものだと継之助はいう。

中P517「事をなすときには、希望をふくんだ考えをもってはいけない。」



20130813

2013年8月13日
 単調。晴天。雷雨至らず。

 地元ではお盆の初日。地元にいた時は、13・14・15は休むのが当たり前だったが、東京は関係なく働いているところも多い。詣でる墓は灰の中。。

 「峠」中466ページまで読む。河井は藩主を押し立てて京都へ向かったが、そこで鳥羽・伏見の戦いに巻き込まれる。被害を最小限にして何とか江戸まで戻り、福地源一郎の紹介で福沢諭吉に会う。

 中P114 国際的な価値からいえば江戸時代の日本は金が安すぎ、銀が高すぎた。これで外国商人はずいぶんともうけた。

 中P138 河井がガットリング砲を買った相手→エドワルド・スネル

 中P411 貴族合議政体 大名同盟(アリストクラシー Aristocracy) 立君政体(モナルキー Monarchy)

 中P416 リバーティ(自由 liberty)とライト(権利 Right)

 中P433 福沢は経済主義こそ人間を幸福にさせる道であると信じ、その経済主義を正義とするたてまえから封建制を否定し、徳川家や諸大名の存在を無意味であるとし、資本主義こそ文明をひらく原動力であるとし、資本主義の前提として自由と権利を強調している。

 


20130812

2013年8月12日
 連日雷雨。退避。100mくらいの距離で何度か落雷がある。川の水がすごいことになっていた。東京アメッシュをみるとまだ予断を許さない感じだ。

 今日明日明後日と面倒くさい作業。淡々とやるだけのことだが、過去にさぼってやってこなかったことを後悔させられる。

 「峠」中46ページまで読む。河合は30を過ぎても江戸に遊学していたり、諸国を放浪したりしていて、ニートみたいな感じでやっている。でもその間に幅広い見識を身に付けた。

 上P427 田舎の三年、京の昼寝
 上P487「(中略)どの物事でもそこに無数の夾雑物(きょうざつぶつ)がある。失敗者というものはみなその夾雑物を過大に見、夾雑物に手をとられ足をとられ、心まで奪われてついになすことをせず、脇道に逸れ、みすみす失落の淵におちてしまう。」

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